少なくとも4つあります。
そのうちのひとつがこの箱です。

天保三年壬辰三月之を作る。とあります。
うえにサンプルの猪口を載せてみました。
中は、

新聞紙がみえますが、最近(といっても戦前ではありましょうが)まで
使っていたのでしょう。
ほかの脇板にも墨痕鮮やかに文字が書かれています。

読めません。
何とかの「猪口」とあります。

「宮本清兵衛」これは読めます。

ふたの部分にはこんなマークが・・・。

天保三年とは1833年、明治維新の35年前です。
この頃活躍していた有名人は、
葛飾北斎、間宮林蔵、徳川家慶、遠山金四郎などだそうです。
なんとなく親しみが湧いてくるから不思議です。
ほかの箱も後日ご紹介します。
かつて「矢中御殿」と呼ばれた建物があります。
昭和20年頃、つまり戦前から戦中にかけて建設された
事業家の別邸です。
もう40年以上も放置され、荒れ放題になっていました。
最近持ち主が変わり、大掃除がはじまりました。
7月の北条の祇園祭にお披露目しようと、
筑波大生も加わって大車輪の日々です。
玄関周りの様子です。学生さんが木の剪定
をしているようです。落ちないでチョーダイ。

きれいになった、西洋館の一部です。
(この建物は、南北にふたつの棟からできています。)

欄間のは、汚れではありません。後日明らかにします。
周囲のふすまは板貼りできれいな絵がかいてあります。


鮮やかな色遣いです。
日本館の二階です。

和洋折衷で、なにやら明治の開国当時、外国との交渉に使われた・・・
といった風情です。ふすまや椅子の背もたれに京都の西陣織りが使われているとか。
よくみると、

ふすまにガラスがはめ込んであります。初めてみました。
このあと、どんな風に変わっていくかたのしみです。
乞う、ご期待!!!
「手風琴獨まなび」

上の巻、下の巻の二巻セットです。これは下の巻。
落書きがありますね。よほど退屈だったのでしょう。
明治35年、十字屋発行です。
十字屋さんはいまも銀座十字屋として営業しています。
手風琴とはアコーデオンのことですって。知らなんだ。

「はしがき」がおもしろいんです。

「アッコージョン」と表現しているのも時代ですね。
「其音色は重々しい上品な地へ快活な音を加へて
実に実にうぐいすが春の花に
さへづるとでも形容しましやうか、
また天津乙女が天上に音楽を奏するとでも申さうか・・・」
なんとも大仰な形容です。
当時はほかに楽器の種類が少なくて、
こんな大げさな表現でも、みなさん納得したのでしょうか。
楽譜も数字で音符を表しています。
ちなみに尺八は「ロツレチリ」というカタカナで楽譜ができていましたっけ。

勧進帳はこんな風です。

ん?勧進帳をアコーデオンで弾く?
よくわかりません。
PS 写真の左うえに影が見えますが、どうもデジカメが
故障したらしいのです。
見にくくて申し訳ありません。
修理に出すしかないなあ。
店蔵でも音楽を聴いていただくことが多くなりました。
いま、店蔵には2台の蓄音機があります。
実はこの2台とも、お借りしているものです。
以前、ブログで(2008年5月17日付け)ご紹介した方が
SPレコードがあるのに、蓄音機がないんじゃね、
とのことで、お貸しいただいています。
たまたま、そのブログに載っている2台が我が家に来ているのです。
これは、三光堂というメーカーのもの。

SANKODO DISC GRAPHOPHONE と書いてあります。

下段には、三光堂の営業所の所在地が。
東京、大阪、北京、ソウル、シンガポール、ウラジオストックなど、
戦前、東アジアに進出していた日本帝国の雰囲気が読み取れますね。
もう1台は、日本ビクター製。

かの有名な「His Masters Voice」です。

ヘッドも黒光りして、年輪を感じさせてくれます。

我が家のSPレコードの山(?)です。これぞまさしく箱入り娘(?)。

この6箱のほかにも出てきたので、200枚くらいはあるでしょうか。
一枚取り出してみました。

そうとう磨り減っているようです。
すべて、大正時代の録音のため音は非常に悪く、
何を言っているのか判別しがたいところがあります。

流行唄 松井須磨子・・・
これをご存知の方は、後期高齢者の仲間入りですかね。
実際には昭和初期に録音された外国製のクラシック盤を
かけていますが、初めてお聴きになる方がほとんどです。
みなさん郷愁を感じられるようです。
電気は一切使っていないので、ボリューム調整はできません。
ラッパの大きさと、針からラッパまでの長さで音の大きさが
決まるようです。
第一回 ツール・ド・つくば が開催されました。
予想天気も見事に(^^)はずれ、
微風、うす曇、絶好のコンディションです。
200名のエントリー選手は、筑波支所に集合し、その後
平沢官衙遺跡前のスタート地点に移動しました。
そのおり、なんとつくば北条市街を通って行ったんですって。
カラフルなライダー達が我が家の前を通っていったとは。
絶好のシャッターチャンスをのがしてしまいました。
しかししかし、雑誌「つくばスタイル」の次号に載るかもしれない
との情報も得ました。やれ安心。
そこで、気を取り直してスタート地点の写真を・・・。

200名が6つのカテゴリーごとに5分間隔でスタートします。
一度のスタートじゃ、不動峠の狭い道、落車は必至。
主催者側もそこは慎重です。
さらに、レースは上り区間のみ。
くだりは事故が心配と、走り終わった選手はバスで、自転車はトラックで
それぞれ集合場所の筑波支所まで搬送なんです。これならね。
最初は、トップクラスの12名ほどがスタートしました。

左側のスターターはつくば市の副市長さん。
右側のオレンジ色はラヂオつくば(コミュニティFM局です)のレポーターさん。

申し遅れましたが、先導のオートバイ。BMWのマーク入り。かっこいい!!
この後、つぎつぎとスタートです。



女性陣も10名ほどのエントリーです。ガンバレー!!!

途中の写真を撮ろうとしても無理ですね。
なにしろ、早い人は30分くらいでゴールだそうですから。
したがって次の写真は
筑波支所での表彰式に飛んでしまいます。
ここでは食べ物の売店が出来ていました。
わが、つくば北条街づくり振興会では
北条米(マイ)スクリームその他物産の出張販売を行いました。

表彰式は筑波支所内の圏民センターで行われました。

表彰式には市長さんも駆けつけて、来年も是非やりたいと
アピールしておりました。

総合優勝は、12キロ、標高差500メートルのほぼ登りだけというコースを
28分05秒という速さ。というよりワタクシメには比較のしようもありませんが。
商品は、北条米一俵(60キロ)。やったね。

この大会も定着して、地域のアピールができるといいですね。
先週の日曜日(7日)、古代米の田植えがあったということで。

まだ弱々しい苗ですが、大きく育って欲しいもの。
公募による40名弱の小学生が中心になって植え込んだのだそうです。
古代米のお隣には、あやめが咲いています。

女性でも写りこんでいれば、いずれがあやめ、かきつばた・・・って言えるのにね。
また、今日は大勢の自転車乗りがきていました。

もしや、明日の「ツール・ド・つくば」の下しらべか?
と思いきや、申し込みが間に合わなかった方々のようでした。
東京からとのことで、ご苦労なことです。
「まあ、お金出してまで走ることも無いと思って、
コースだけは走ってきますよ」とはやや負け惜しみかな?
そのコースは、ネットでも分かりますが、
平沢官衙遺跡をスタートして、不動峠からつつじヶ丘ゴールです。

この道は狭いところが多いので、200名の参加者が
一度に通ったら、落車が相当出るんじゃないかと心配ではあります。
朝早いので、しんどいですが、スタートくらいは写真撮るつもりです。
3年目の活動に入りました。
正式には
筑波大学芸術学群 art design produce (筑波大学ADP)2009
「つくば道をひらく」 project
という長い名前です。
一年目は、つくば北条ふれあい館岩崎屋の改修などを手がけ、
二年目は、北条を中心とした筑波山麓エリアにおける
国民文化祭の各種イベント開催。
そして三年目の今年。
我が家の西となりにある、大正時代の雰囲気を
色濃く伝える町家「関邸」をメインステージとして
北条の内側により目を向けた様々な取り組みを
行おうというものです。
昨日、今年のADPメンバーからの説明会が岩崎屋でひらかれました。
学生連から20数名、北条街づくり振興会から10名ほどが参加。

久しぶりに岩崎屋が活気づきました。
そして
12名のメンバーから15にも及ぶ提案説明があったのです。
「関邸」は町家特有のいわゆる「うなぎの寝床」。
そこに、子供達が集う場所としての提案と、駄菓子やなどの食関連の提案、
まちかど伝言板や自転車ツーリスト宿、
さらには「裏堀を活かす」まで、様々な提案がありました。
「関邸」がよく描かれている絵コンテをご紹介します。
「いっぽっぽ」と名づけられた子供達の城とでもいうのでしょうか。

あったかい雰囲気がいいですね。

関邸の外観です。脇から見たところ。

こんな長細い建物です。

今年も北条がにぎやかになる予感がします。
これらの取り組みを我々街の住人がどう活用できるか、
試されることになりますね。